3学期始業式

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1月9日(火)始業式
校長先生の話・校歌斉唱・生活指導主任の話・表彰がありました。
校長講話の要旨
皆さん おけましておめでとうございます。
14日間の冬休みでしたが、健康で過ごすことができたでしょうか?
まだまだ、寒い日が続きますが3学期も楽しく学校生活が送れるように頑張りましょう。
さて、冬休みにはご家族そろって様々な体験をしたと思います。
私が一番思い出に残ったことを少しお話しさせていただきます。
年末に福島県の会津地方にある猪苗代湖を訪れました。この日も雪が降り強い風で身が震える寒さでした。目的地は、猪苗代の湖畔にある野口英世記念館です。
私が小学校の頃、学校の図書室で借りた本、あの有名な野口英世さんの生まれた故郷です。藁葺き屋根の生家がそのまま保存され、功績をたたえた資料館となっています
「ああここが、野口英世が生まれた家なのか。」(感動しました)
皆さんも伝記などで読んだことがあると思います。野口英世は、明治・大正・昭和の初期に活躍しました。黄熱病などの伝染病を研究し、人類のために未知の病気とたたかい続けた日本が生んだ世界の医学者です。千円札の肖像画にもなっている人なので、皆さんもよく知っていると思います。
 野口英世は、1歳半の時、家の囲炉裏に落ちて、左手の大やけどをしました。とても貧しい家でしたので手術することもできず、左手の指が全部くっついてしまったままのハンディを背負って生きていました。ひどくいじめられたこともあったようです。
 そのような中、母の愛情に支えながら、負けずに、寝る間を惜しんで勉強に励み、たいへんな努力し優秀な成績をおさめました。そんな頑張る野口少年を見て、学校の先生や医師の援助もあり、左手を16歳で手術する機会に恵まれました。そして、独学で医師の道を目指しました。その後、並々ならぬ勉強をし、医師の免許を取り、単身でアメリカ、ヨーロッパ、中南米、アフリカなどにわたり、医学の研究や治療にあたりました。蛇毒、トラホーム、梅毒、小児マヒ、狂犬病、ワイル氏病、オロヤ熱、黄熱病などの研究を行い偉大な障害と業績を残しました。
「野口は、眠ることがあるのか」と言われたほど普通の研究者の何倍もの研究業績を残すことができました。どんな苦難があっても、自分の目ざした仕事に対して、決して絶望しませんでした。
じっと苦悩に耐え忍びながら道を開いていきました。
51歳の時にアフリカのガーナで、黄熱病の研究をしましたが。自らが黄熱病のために死亡しました。
 よく野口英世は負けず嫌いな少年であったと言われています。たとえ失敗しても、志をすてず、より大きな目標に向かって努力していったのです。なによりも自分自身のくじける心に負けなかったといえるでしょう。野口英世は、そういう努力によって、自分の才能を開発し、自らのしごとを切り開いていたのでしょう。
生家の石碑には「忍耐」という二文字が刻まれています。
3学期も自分の目標を向かい、くじけずに努力を続けてほしいと思います。
寒さにも負けず、頑張りましょう。

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