大西小学校のいま、むかし

むかし=開校(昭和49年,1974年)当時

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▲開校当時の本校
 関越自動車道が開通したばかりで、周辺は今以上に耕地が多かった。
●開校年月日  昭和49年4月1日
●母 体 校   大泉第三小学校・大泉第四小学校
●開校時学級数 18学級
●開校時児童数 633名
●校 地 面 積   12201平方メートル
●学校名の由来
大泉の学校の中でも最も西に位置し、学校所在地の町名が西大泉という理由のようです。
●校章のいわれ
開校当時、学校周辺には竹林が多かったので、竹のデザインを基本に校章を考えました。葉の緑は豊かな心と平和をねがう心を表し、茎の輪は、大泉のO(オー)、チームワークの意味にもなっています。また、竹の節は、きまり正しくとかけじめをもってという意味です。この校章を作るにあたっては、子供たちからのアイデアを取り上げました。
●開校式等の様子
開校式はうららかに晴れた日でした。校舎だけの学校で、校庭には何もありませんでした。大泉第三小学校からは300名、大泉第四小学校からは324名、その他9名の633名の児童と教職員25名、主事13名が校庭に並び、厳粛な中で開校記念式が行われました。
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開校式典の様子。校舎の周りがすっきりしています。

●当事の周辺の景観
学校の東側を関越自動車道が走り、屋上からはそれが見えました。学校の周辺にはまだ多くの畑が広がり、所々の屋敷林が広がり、大きな農家が点在していましたました。学校の南の方には新興住宅が立ち並ひはじめ、学校の正面周辺には竹林に囲まれていました。
 

いま(現在)

練馬区の北西、都県境に位置し、新興住宅地としての賑わいを見せてきましたが、まだ畑も多く、緑豊かで静かな環境です。
 高層住宅もほとんどなく、空がとても広く感じられます。また、地域には多くの公園もあり、子どもたちが元気に遊んでいます。地域の行事も盛んで、地域で子どもたちを育てていこうという雰囲気も多く見られます。
 学区域は、西大泉4丁目の大半(1〜4番地を除く)・西大泉6丁目全域・大泉学園町5丁目の西端部および西大泉町(新座市内の練馬区飛び地部分)です。北側は埼玉県新座市片山・池田、西端部は西東京市北町に隣接します。

学校の様子

保護者の中にも本校の卒業生も見られるようになりました。
これから歴史を積み上げていく伸び盛りの元気な学校です。校舎が校庭より少し高い位置にあり、小さな土手には草花が咲き乱れています。春は正門脇の枝垂桜が見事に咲き誇ります。校庭も広く、子どもたちの元気の良い歓声に包まれています。
野球、サッカー、少女バレー、剣道、空手などの少年少女の地域スポーツも盛んです。
また、青少年育成の地域音楽祭にも学校として参加しています。
 校庭・体育館・図書館の開放事業や、「わかたけひろば」など、地域・保護者の学校応援団組織が中心となって、子どもたちの放課後の安全な居場所の確保に努めています。

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