校長あいさつ
開校前の本校の学区域は、大泉中学校の学区域でした。その後、昭和37(1962)年に大泉中学校から大泉学園中学校が分離独立した後、地域の人口増加により、昭和48(1973)年に大泉学園中学校の学区域を分けて本校が誕生しました。開校当時の生徒は、大泉学園中学校から転入した2年生と新たに入学した1年生でしたので、初年度は卒業生がおりませんでした。そのため、現在でも、入学式よりも卒業式が1回少ない数え方をしています。
本校が開校した昭和48(1973)年は、ベトナム戦争の終結に向けた和平協定が結ばれ、光が丘の前身であったグラントハイツ(アメリカ空軍の家族宿舎)も日本に返還されました。関越自動車道(練馬―川越間)も開通しています。
学区域の東側は、大泉学園通りを境に大泉北中学校、北東側は関越自動車道を境に大泉学園中学校と埼玉県新座市、西側は東京都西東京市に接しています。南側は大泉中学校の学区域に接していますが、南東の境界には「ねりまの昔ばなし」にも登場する「力持惣兵衛の馬頭観音(ちからもちそうべえのばとうかんのん)」の石碑があります。北西側の境界は埼玉県新座市に接していますが、新座市側には西大泉町、いわゆる練馬区の「飛び地」も本校の学区域です。
本校の学区域は、23区で最も農地が多いとされる練馬区の中でも、特に農地が多い地域です。区民農園や体験農園、芝畑、農産物の直売所もある一方で、地域の方のご厚意で生まれた西本村憩いの森や久保新田いちょう憩いの森、四面塔憩いの森、大泉学園少年野球場などとともに、土地区画整理を通じて設置されたたくさんの公園があります。住宅街ではありますが、緑の多い町を生徒は通います。また、本校の学区域には、白子川の支流がつくる後背台地が広がり、古くから清瀬と江戸を結んだ交通路の清戸道(きよとみち)が南北を貫くように通っています。近年は、都市計画が進められ、電線が地中化された道路が東西や南北に貫いて整備されたり、高齢者施設が増えたりするなど、街の様子も変わってきています。
本校も校舎改築が平成31年4月に始まり、学校の様子が変わりました。令和2年12月に新校舎が完成して引越しをしました。令和3年11月末には、校庭や外構の工事も終り、全ての工事が終了しました。
本校の教育目標
− 豊かな心をもち 思いやりのある人
− 自ら学び 正しく判断し行動する人
− 健康でたくましく生きる人
− 共に社会をつくる人
開校以来、多くの生徒が学び、地域の皆様と共に多くの生徒を見守ってまいりました。教育目標の達成を目指すとともに、地域の皆様に応援していただける学校となるよう、教職員一同、努めてまいります。
校長 櫻井 弘
<新校舎完成予想図> |