校名の由来
校名は和田・北原・池淵という学区域の地名ではなく、これから卒業するたくさんの子ども達を思い、学校本来の意味を象徴し将来にわたり栄誉ある学校になるようにと願い、意義ある校名を古書に求めた。選ばれた校名「光和」は学ぶことの大切さを身につけた英知を人生にどう生かすかを示し建学の精神を表している。昭和三十年創立に関わった地元関係者の期待の中、光和小学校は開校した。 |
校章
校章について校章は昭和三十年九月一日制定されたました。学区内の皆さんからいろいろな案を出していただき、八幡健二氏の「野ばら」の図案に決定しました。
道ばたや空地に咲いていたかわいい野ばらを見て、根強く、確実な発展をという気持ちをこめて選ばれたといいます。 |
校歌
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光和小学校 校歌JASRAC許諾番号: E0501191449 |
校歌について
本校開校と共にいち早く、校章が制定されたが、校歌の制定はなかった。昭和三十三年度には、児童、職員間で、校歌にかわるべき、学校愛唱歌を募集し、選定された数曲のうち、特に「光の子供」「われらの光和」等が歌いつがれ鼓笛曲等にも編曲されていた。新校舎建築祝歌「新校舎のうた」も数年間愛唱されていたが、十周年を期し校歌を正式に制定しようということになり、PTA費からも校歌制定に関する予算措置もされ、元会長、駒宮録郎氏の紹介により、作詞者として詩人宮沢章二氏が依頼され、本校地域に対するイメージをもつため、宮沢氏が来訪、学校長、新旧PTA役員、地元有志らと懇談をもち、地域を歩いて歌詞を作られた。
歌詞にもとづいて、作曲家、中田喜直氏が作曲され、三月二十日に内定し、五月三十一日の開校十周年に披露される運びになった。
≪十周年記念誌より≫