「配架改め」

画像1 画像1 画像2 画像2
 この写真は配架改め作業をしているところです。この作業には、学校図書館支援員、大泉図書館職員、学校応援団学校図書館開放部の方々がかかわっています。この作業が終われば、検索しやすくなります。必要な資料を探すときも、効率的に探すことができるようになります。平成24年5月24日(木)

運動会の練習2

画像1 画像1
 きょうは24日。8時45分から運動会の練習を始める。この写真では、応援合戦の様子を表している。26日当日は晴れの予報。たくさんのお客様にご覧いただきたい。

運動会の練習

画像1 画像1
 きょう22日は朝から小雨まじり。体育館で練習する。これは応援合戦の練習をしているところ。気合いが入っている。当日26日の予報は晴れのち曇り。

日食

画像1 画像1 画像2 画像2
 左の写真は、日食を見るために校庭に集まっている様子です。雲間から日食が観測できました。が、この写真からは日食(三日月形)の姿を認めることはできません。

薔薇

画像1 画像1
 薔薇が咲いた。ずっと昔、「薔薇が咲いた」という歌をうたった。大西小のこの薔薇を見て、「薔薇が咲いた」と口ずさんでみる。口ずさみながら、薔薇の字を指でなぞってみる。いいなあ。この漢字を書くと、薔薇の花びらの重なった姿が見える。花びらの隙間に漂う空気感さえ、この漢字は漂わせている。だから、この漢字が好きだ。

なわとびレンジャー

画像1 画像1
 去る平成24年5月19日、大三小で「なわとびレンジャー」を迎えて、なわとび大会が催された。本校の児童も参加した。

「紫露草」

画像1 画像1
 低学年の運動会の練習を見る。足下にムラサキツユクサが咲いている。花言葉は「ひとときの幸せ」。ひとときの幸せ、なんと控えめな花言葉だろう。そう言えば、この花の姿そのものが控えめだ。笑いを取ったり、人気を取ったり、評判を取ったりなど、何かにつけて「取ること」が流行だが、この花は「流行を追わないだけで幸せになりますよ。」と囁いているような感じがする。平成24年5月17日

   

タチアオイ咲く

画像1 画像1
 タチアオイが咲いている。2年前、私がこの学校に着任したとき、小さな苗だった。その苗を増やし、移植に移植を重ねて、これほどまでに大きくなった。タチアオイ、ありがとうよ。校長室前のタチアオイは、子供の足音をたっぷり聴いている。そのせいか、葉は青くみずみずしい。平成24年5月16日

  タチアオイ あしたのわたし つれてくる

校長講話「三毒追放」

画像1 画像1
◆あと2週間で運動会。皆さんが練習している姿、校長室から見ています。練習は成功のもとだなあ、と思います。たいへんな思いもあるでしょうが、目標に向けて取り組んでいきましょう。
◆さて、今朝の話はこれ。「三毒追放」。私は、この本を読んでいる。勝間和代さんは、私と同じことを考えているので、紹介します。三毒の一つめは、「怒ること」。すぐにいらいらして怒る。そして、文句を言う。人を攻撃する。これは毒です。二つめは、「人の悪口を言うこと」。人の悪口は美味しいように思える。でも、人の悪口を陰で言っている人は不幸せになります。運がつかない。三つめは、「愚痴を言うこと」。「どうせ、私は運が悪いよ。」「どうせ、私は怠け者よ。」「ちきしょう、あの人のせいで。」などと、言ってもしかたがないことを、すぐに口にする。これを愚痴と言っている。この三つは毒です。この毒を食べて、回りにまき散らす人は不幸になります。きょうは、少し辛い話をしましたが、不幸の原因を知っておくことは大切なことです。
<追記>印象派の画家は、光を描くために陰の研究をし、その陰を丹念に描くことで光を表しました。戦後日本は、お笑いだの、グルメだの、テレビだのにうつつをぬかし、光のみに心を奪われてきたのかもしれません。陰の部分を直視しないで、幸せを得ようというのは横着な考えです。表には必ず裏があるように、陰を直視してこそ、光の意味も理解できるというものです。陰の哲学が必要なゆえんです。平成24年5月14日

父母連定例会の光景

画像1 画像1
◆第二回定例会の様子です。定例会報告書を紙資料で広報していますので、お読みいただければ幸いです。

シロツメグサ

画像1 画像1
◆シロツメグサの球状の花に鼻腔を近づけてごらん。甘い香りがスッと喉まで通るから。阿蘇の牛は、その甘い香りを探してゆっくり歩く。シロツメグサを食べる牛の姿を見ているだけで幸せになってことがある。雑草は、名付けられるものと、名付けられないものがある。名付けられたものは大切にされる。
◆言葉の発生を考えてみよう。先人が、感動したものに名付けるところから生まれたのにちがいない。雑草の中からいい香りのする玉のような花に感動する。いい花があるよ、と伝えたい。そうしたとき、その玉に名前があればどんなに便利だろう。そう考えて、のちに「シロツメグサ」と名を付ける人が現れる。そういう人を知恵者、聖者と言ったのであろう。知恵者・聖者に感謝せずにはいられない。◆雑草の女王・シロツメグサは西洋から渡ったてきた花だ。今では、日本の大地に根付き、日本の花嫁のように見えるが。

低学年遠足

画像1 画像1 画像2 画像2 画像3 画像3
 大泉交通公園に着いて、ほどなくして写真撮影をする。シロツメグサが咲いている。スズランも見える。「空気がいいね。緑がいい。」と呟く子供の声を聴く。遠足はいいなあ。二年生が一年生のめんどうをみる姿もいい。筆者は、子供たちと一緒に昼食を食べた。ハート形のおにぎりを見せてくれた。「ああ、はっとした。」としゃれを言う子。楽しい。ああ、楽しや。

念ふ(おもう)

画像1 画像1
 今でも、「思うと想う」の使い分けは残っています。万葉集では、「念」という字を充てていて、「おもふ」と読ませています。万葉集には、「思ふ」という字もかなり見られますが、「念ふ」の方が多いのです。どうしてでしょうか。ちゃんと理由があります。今でも、「念じる」という使い方が残っているように、「念ふ」は心におもいをギュッと詰めて深くおもうことを指していたのです。恋いこがれる時の「おもふ」は「念ふ」でした。同じ「おもふ」という音でも、漢字の充て方で微妙に意味がちがってきます。この違いを意識して使いこなす過程で、大和言葉は磨かれました。もし、漢字を使い分けることがなかったなら、大和言葉は平板になっていたかもしれません。平成24年5月8日(火)

学校図書館支援

画像1 画像1 画像2 画像2
◆文字・活字の本質は何でしょうか。先人が万物の変化に感動して、それを何としても後世に伝えたいと考えたところから文字が生まれました。言語論を残してる弘法大師・空海は、文字=精神(魂を込めたもの)と考えています。◆さて、本年度4月より学校図書館支援員さんを週2回配置していただくことになりました。私は、学校図書館に人的配置は喫緊の課題だと、区へ要望して参りました。区の配慮に感謝せずにはいられません。今回、月曜日と木曜日に学校図書館支援員さんが学校図書館に勤務します。◆上の写真をご覧ください。左写真は、資料を作成しているところ。右写真は、読み聞かせの練習をしているところです。平成24年5月7日(月)

校長講話「強」

画像1 画像1
 きょうは月曜日。毎週月曜日は校長講話の日である。主題は「強」という漢字。弓へんは、今の漢字配当表では二年生の漢字。が、それ以前は六年生に配当されていた。ここにきてようやく漢字の系統、構造に注目した「学年別漢字配当」が行われるようになった。 私は、大要次のような話をした。
 「何と読みますか。(キョウという声が聞こえる。)そうですね、キョウと読む。訓読みでは「つよい」の「つよ」。弓は弓状にしならせると強いバネになる。では、隣りの「ム」と「虫」の字は何か。これは昆虫だ。どんな昆虫かというと、「カブト虫」の強そうな姿を指している。つまり、性質、形状から「強」という字ができている。漢字の成り立ち、構造は大切だ。漢字は面白いよ。いよいよ運動会の練習が盛んになる。目標をもって強い体、強い心を培って欲しい。」

入学式の写真

画像1 画像1 画像2 画像2
◆入学式の写真が届いた。CD-Rと記された写真データをパソコンで見てみる。厳粛な中にも爽やかさが漂っている。いい写真だなあ。十枚ある中から二枚選んで、遅まきながらお届けしたい。ご覧いただければ、幸いである。平成24年5月1日

5月の花

画像1 画像1 画像2 画像2
◆午後12時50分、校庭を歩く。いい香りだ。何の香りだろう。鼻腔の神経が記憶の底から花の名を探そうとしている。たぶん「藤の花」に違いない。やはり藤の花だった。◆青紫の花が見える。近付いていく。アヤメだ。西洋名・Siberian iris。花は何も言わない。が、花を見る人の心は花を認識している。いや、感じ入っている。花はいいなあ。何にも言わないで、人を感動させるから。平成24年5月1日

六年生、一年生の世話をする

画像1 画像1
◆きょうから5月1日だ。若葉が香り立つ。8時30分、六年生が一年生に読み聞かせをしている。いいなあ。年長者が年下の者をかわいがり、めんどうをみる。これが大切だ。年長者のことを、「父母兄弟」と称して、のちに慣用熟語となった。これを縮めて、のちに「父兄」と呼んだ。父兄とは、年長者・保護者・監督者の意である。その意味では、六年生は父兄である。平成24年5月1日

指筆で桜を描く

画像1 画像1
 指筆、なんといい言葉だろう。太古のその昔、草木染料を指に付けて絵を描いた人々の姿を想像する。指で絵の具を溶き、その指を筆にして桜の花びらを描いていく。楽しそうだ。実に楽しそうだ。筆者も指に絵の具を付けたくなったが、そこは辛抱して子供の肩越しに桜絵を楽しんだ。

  指筆に さくらさくらの 花咲けり         平成24年4月25日

見る、看る、診る

画像1 画像1
 4月23日月曜日、全校朝会での私の話のテーマは「見」「看」「診」の漢字の音訓について。筆で認めた以上の三種の字を見せる。一年生は、とくに真剣な眼差しで見ている。先に音読みを教えてから、訓読みを教える。三種の文字ともに「みる」と読む。が、三種それぞれの意味がある。その意味を知らせてから、漢字は一世紀に日本に伝わったことを話す。一世紀から9世紀にかけ、約八百年間かけて訓読の技を磨いた。他の国にも漢字は移植されたが、日本人だけが訓読に成功している。偉大だ。こんな話をしてから、「私と副校長先生、大久保先生は、あなたたちの学習の様子を見に行くよ。なんとなれば、皆さんがどのように学んでいるか、その姿を見るのは楽しみだ。また、学びの中で苦戦している人がいるかもしれない。そうした時には、苦戦の原因が何なのか、探りたい。」こう話を結んだ。
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
学校行事
10/5 5年軽井沢移動教室
10/6 青少年育成 写生会
10/7 小P連卓球大会
10/8 体育の日
10/9 放送朝会 避難訓練
10/10 ごいっしょ給食 安全指導