校長講話「強」

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 きょうは月曜日。毎週月曜日は校長講話の日である。主題は「強」という漢字。弓へんは、今の漢字配当表では二年生の漢字。が、それ以前は六年生に配当されていた。ここにきてようやく漢字の系統、構造に注目した「学年別漢字配当」が行われるようになった。 私は、大要次のような話をした。
 「何と読みますか。(キョウという声が聞こえる。)そうですね、キョウと読む。訓読みでは「つよい」の「つよ」。弓は弓状にしならせると強いバネになる。では、隣りの「ム」と「虫」の字は何か。これは昆虫だ。どんな昆虫かというと、「カブト虫」の強そうな姿を指している。つまり、性質、形状から「強」という字ができている。漢字の成り立ち、構造は大切だ。漢字は面白いよ。いよいよ運動会の練習が盛んになる。目標をもって強い体、強い心を培って欲しい。」

入学式の写真

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◆入学式の写真が届いた。CD-Rと記された写真データをパソコンで見てみる。厳粛な中にも爽やかさが漂っている。いい写真だなあ。十枚ある中から二枚選んで、遅まきながらお届けしたい。ご覧いただければ、幸いである。平成24年5月1日

5月の花

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◆午後12時50分、校庭を歩く。いい香りだ。何の香りだろう。鼻腔の神経が記憶の底から花の名を探そうとしている。たぶん「藤の花」に違いない。やはり藤の花だった。◆青紫の花が見える。近付いていく。アヤメだ。西洋名・Siberian iris。花は何も言わない。が、花を見る人の心は花を認識している。いや、感じ入っている。花はいいなあ。何にも言わないで、人を感動させるから。平成24年5月1日

六年生、一年生の世話をする

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◆きょうから5月1日だ。若葉が香り立つ。8時30分、六年生が一年生に読み聞かせをしている。いいなあ。年長者が年下の者をかわいがり、めんどうをみる。これが大切だ。年長者のことを、「父母兄弟」と称して、のちに慣用熟語となった。これを縮めて、のちに「父兄」と呼んだ。父兄とは、年長者・保護者・監督者の意である。その意味では、六年生は父兄である。平成24年5月1日

指筆で桜を描く

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 指筆、なんといい言葉だろう。太古のその昔、草木染料を指に付けて絵を描いた人々の姿を想像する。指で絵の具を溶き、その指を筆にして桜の花びらを描いていく。楽しそうだ。実に楽しそうだ。筆者も指に絵の具を付けたくなったが、そこは辛抱して子供の肩越しに桜絵を楽しんだ。

  指筆に さくらさくらの 花咲けり         平成24年4月25日

見る、看る、診る

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 4月23日月曜日、全校朝会での私の話のテーマは「見」「看」「診」の漢字の音訓について。筆で認めた以上の三種の字を見せる。一年生は、とくに真剣な眼差しで見ている。先に音読みを教えてから、訓読みを教える。三種の文字ともに「みる」と読む。が、三種それぞれの意味がある。その意味を知らせてから、漢字は一世紀に日本に伝わったことを話す。一世紀から9世紀にかけ、約八百年間かけて訓読の技を磨いた。他の国にも漢字は移植されたが、日本人だけが訓読に成功している。偉大だ。こんな話をしてから、「私と副校長先生、大久保先生は、あなたたちの学習の様子を見に行くよ。なんとなれば、皆さんがどのように学んでいるか、その姿を見るのは楽しみだ。また、学びの中で苦戦している人がいるかもしれない。そうした時には、苦戦の原因が何なのか、探りたい。」こう話を結んだ。

あくしゅ大作戦

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 時計を見ると、4月24日9時を過ぎていた。二年生に引かれて一年生が校長室に入ってくる。いよいよ、あくしゅ大作戦の始まりである。名刺を交換する。そのあと、握手をする。名刺は相手に読みやすいように返して渡すのがいい。が、自分向きに渡す子がいる。そうすると、二年生の子が「名刺は受け取る人が読めるように渡すんだよ。」と教える。いいなあ。こういうやりとりから世の中の仕組みに気付くようになるのだろう。

大西小芝桜

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 芝桜咲く季節となりました。上の写真を見て、文字が見えてきませんか。「大西小」という文字です。この花文字を見たお客様が、「いいなあ。花文字を私もつくりたくなったわ。」とおっしゃっていました。大西小の子供の姿のようです。見に来てください。平成24年4月17日

桜咲く

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 桜咲く。芭蕉は桜の花に神の顔を見た。神の顔とは桜の命のことである。その命の姿を神の顔と詠んだ芭蕉に感嘆する。桜はいいなあ。
  なお見たし 花に明けゆく 神の顔

卒業式

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 去る3月23日、卒業証書授与式を挙行した。57名の子供たちが巣立っていった。新しい出発に祝福をおくりたい。

体育集会

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◆大縄を回す先生、背中を押されて跳ぶ1年生の姿を見る。逞しさが滲むようになった。子供の成長は国の成長のもと。こう考えながら、この子たちが健やかに育って欲しいと願う。

大泉青少年音楽祭

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▼3月3日、大泉中で第11回大泉青少年音楽祭が催された。大西小の子供たちは、「地球の家族」を歌い、「天空の城ラピュタ」を演奏した。緊張した顔が実にいい。人は、緊張と緩み、緩みと緊張、この相互作用の中で幸せを感じるのかもしれない。帰り、大泉中のクリスマスローズの蕾を見た。

六年生を送る会

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▼六年生が入場すると、大きな拍手で湧く。少し恥ずかしそうにうつむく六年生、一年生は強く強く手をたたいている。
▼学校長の挨拶の次は出し物だ。一年生から出し物が続く。五年生が終わると、運動系のゲームをする。一年生が縄跳びで六年生に負けていない場面が見られた。予想が外れた人もいたにちがいない。相撲で言えば、番狂わせ。保護者の方も夢中で応援していたなあ。いいなあ。実にいい送る会だった。

風の子

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8時30分、校庭を見る。子供たちが縄跳びをしている。いいなあ。昔、「子供は風の子」と言われた。今日では、「子供はゲームの子」と皮肉を言われたりしている。が、大西の子には、「風の子」という称号を与えたい。短縄跳びは、神経系の巧緻性、平衡性を培うにはもってこいだ。
 「いいなあ。」 

日本水仙

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10時半、校庭を見る。日本水仙が咲いている。この水仙を見た子供がいるにちがいない。どんな思いで見ただろうか。
 すす払いはしただろうか。大掃除をしたあとの気持ちは清々しい。自らの心まで掃除をしたかのような錯覚に陥るからかもしれない。 
 日本水仙の白地の花弁を見ながら子供たちのことを祈った。いい年になりますよに。

書き初め

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学校で書き初めをする国は日本だけなのかもしれない。こう思って、いい国だなあと思った。筆で字を書く。この伝統は辛うじて守られている。この伝統が続く限り、日本は日本であり続けるだろう。  

避難拠点炊き出し

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これは大西小で炊き出しをしている光景である。 

連合図工展

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これは連合図工展会場である。大西小の保護者が写真を撮っているところに遭遇した。壁面の左から三番目のコーナーに版画が見える。これは大西小の児童の作品である。版画は日本の得意技であった。浮世絵を版画に仕立てた江戸文化に思いをいたす。江戸の職人技の伝統は、こんなところにも反映されているのかもしれない。職人、なんといい言葉だろう。筆者は帰りに、染織作品を出している「賄い展」にも立ち寄った。伝統の意匠を凝らした作品群に感嘆した。区立美術館は中村橋から歩いて4分。 

いのちながし

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全校朝会での話。
 「夏休み、みなさんは本を読んだでしょう。この字、何と読みますか。『ことぶき、じゅ、とし、す』と読みます。日本人は、論語でこの字が出できたら、「いのちながし」と訓読したのです。どういう意味でしょうか。先人の知恵に学ぶ。つまり、たくさんの書物を読む。読むということは、先人の知恵、先人の命を自分の中に取り込むことです。すなわち、これが『いのちながし』なのです。9月から12月、いい季節です。本を読みましょう。それは、『いのちながし』に通じます。」
 以下は全校朝会から離れた話。  
 論語に曰く。「仁ある者いのちながし」。松尾曰く。「本を読む者いのちながし。」

この一冊

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 この本を再読する。何度読んでも、胸がドキドキする。著者は、お金を貯めても心が解放されない日本人の生き方に疑問を呈する。英国では、中古住宅が売買されるが、その中古こそ大人気だ。古い物には、歴史とアイデンティティーが宿されているからだという。「もう古いよ。」「古くさいよ。」という言葉は、時に殺し文句として放たれる。英国では、その逆だ。「古い」には、成熟と歴史の意味が込められているようだ。
 新しい流行を追う生き方は息苦しいのかも知れない。そう思ってページをめくった。この夏、おすすめの一冊だ。  
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学校行事
11/26 全校朝会 委員会
11/28 クリーン運動予備日
11/29 児童集会
11/30 5年社会科見学