タチアオイ咲く

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 タチアオイが咲いている。2年前、私がこの学校に着任したとき、小さな苗だった。その苗を増やし、移植に移植を重ねて、これほどまでに大きくなった。タチアオイ、ありがとうよ。校長室前のタチアオイは、子供の足音をたっぷり聴いている。そのせいか、葉は青くみずみずしい。平成24年5月16日

  タチアオイ あしたのわたし つれてくる

校長講話「三毒追放」

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◆あと2週間で運動会。皆さんが練習している姿、校長室から見ています。練習は成功のもとだなあ、と思います。たいへんな思いもあるでしょうが、目標に向けて取り組んでいきましょう。
◆さて、今朝の話はこれ。「三毒追放」。私は、この本を読んでいる。勝間和代さんは、私と同じことを考えているので、紹介します。三毒の一つめは、「怒ること」。すぐにいらいらして怒る。そして、文句を言う。人を攻撃する。これは毒です。二つめは、「人の悪口を言うこと」。人の悪口は美味しいように思える。でも、人の悪口を陰で言っている人は不幸せになります。運がつかない。三つめは、「愚痴を言うこと」。「どうせ、私は運が悪いよ。」「どうせ、私は怠け者よ。」「ちきしょう、あの人のせいで。」などと、言ってもしかたがないことを、すぐに口にする。これを愚痴と言っている。この三つは毒です。この毒を食べて、回りにまき散らす人は不幸になります。きょうは、少し辛い話をしましたが、不幸の原因を知っておくことは大切なことです。
<追記>印象派の画家は、光を描くために陰の研究をし、その陰を丹念に描くことで光を表しました。戦後日本は、お笑いだの、グルメだの、テレビだのにうつつをぬかし、光のみに心を奪われてきたのかもしれません。陰の部分を直視しないで、幸せを得ようというのは横着な考えです。表には必ず裏があるように、陰を直視してこそ、光の意味も理解できるというものです。陰の哲学が必要なゆえんです。平成24年5月14日

父母連定例会の光景

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◆第二回定例会の様子です。定例会報告書を紙資料で広報していますので、お読みいただければ幸いです。

シロツメグサ

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◆シロツメグサの球状の花に鼻腔を近づけてごらん。甘い香りがスッと喉まで通るから。阿蘇の牛は、その甘い香りを探してゆっくり歩く。シロツメグサを食べる牛の姿を見ているだけで幸せになってことがある。雑草は、名付けられるものと、名付けられないものがある。名付けられたものは大切にされる。
◆言葉の発生を考えてみよう。先人が、感動したものに名付けるところから生まれたのにちがいない。雑草の中からいい香りのする玉のような花に感動する。いい花があるよ、と伝えたい。そうしたとき、その玉に名前があればどんなに便利だろう。そう考えて、のちに「シロツメグサ」と名を付ける人が現れる。そういう人を知恵者、聖者と言ったのであろう。知恵者・聖者に感謝せずにはいられない。◆雑草の女王・シロツメグサは西洋から渡ったてきた花だ。今では、日本の大地に根付き、日本の花嫁のように見えるが。

低学年遠足

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 大泉交通公園に着いて、ほどなくして写真撮影をする。シロツメグサが咲いている。スズランも見える。「空気がいいね。緑がいい。」と呟く子供の声を聴く。遠足はいいなあ。二年生が一年生のめんどうをみる姿もいい。筆者は、子供たちと一緒に昼食を食べた。ハート形のおにぎりを見せてくれた。「ああ、はっとした。」としゃれを言う子。楽しい。ああ、楽しや。

念ふ(おもう)

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 今でも、「思うと想う」の使い分けは残っています。万葉集では、「念」という字を充てていて、「おもふ」と読ませています。万葉集には、「思ふ」という字もかなり見られますが、「念ふ」の方が多いのです。どうしてでしょうか。ちゃんと理由があります。今でも、「念じる」という使い方が残っているように、「念ふ」は心におもいをギュッと詰めて深くおもうことを指していたのです。恋いこがれる時の「おもふ」は「念ふ」でした。同じ「おもふ」という音でも、漢字の充て方で微妙に意味がちがってきます。この違いを意識して使いこなす過程で、大和言葉は磨かれました。もし、漢字を使い分けることがなかったなら、大和言葉は平板になっていたかもしれません。平成24年5月8日(火)

学校図書館支援

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◆文字・活字の本質は何でしょうか。先人が万物の変化に感動して、それを何としても後世に伝えたいと考えたところから文字が生まれました。言語論を残してる弘法大師・空海は、文字=精神(魂を込めたもの)と考えています。◆さて、本年度4月より学校図書館支援員さんを週2回配置していただくことになりました。私は、学校図書館に人的配置は喫緊の課題だと、区へ要望して参りました。区の配慮に感謝せずにはいられません。今回、月曜日と木曜日に学校図書館支援員さんが学校図書館に勤務します。◆上の写真をご覧ください。左写真は、資料を作成しているところ。右写真は、読み聞かせの練習をしているところです。平成24年5月7日(月)

校長講話「強」

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 きょうは月曜日。毎週月曜日は校長講話の日である。主題は「強」という漢字。弓へんは、今の漢字配当表では二年生の漢字。が、それ以前は六年生に配当されていた。ここにきてようやく漢字の系統、構造に注目した「学年別漢字配当」が行われるようになった。 私は、大要次のような話をした。
 「何と読みますか。(キョウという声が聞こえる。)そうですね、キョウと読む。訓読みでは「つよい」の「つよ」。弓は弓状にしならせると強いバネになる。では、隣りの「ム」と「虫」の字は何か。これは昆虫だ。どんな昆虫かというと、「カブト虫」の強そうな姿を指している。つまり、性質、形状から「強」という字ができている。漢字の成り立ち、構造は大切だ。漢字は面白いよ。いよいよ運動会の練習が盛んになる。目標をもって強い体、強い心を培って欲しい。」

入学式の写真

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◆入学式の写真が届いた。CD-Rと記された写真データをパソコンで見てみる。厳粛な中にも爽やかさが漂っている。いい写真だなあ。十枚ある中から二枚選んで、遅まきながらお届けしたい。ご覧いただければ、幸いである。平成24年5月1日

5月の花

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◆午後12時50分、校庭を歩く。いい香りだ。何の香りだろう。鼻腔の神経が記憶の底から花の名を探そうとしている。たぶん「藤の花」に違いない。やはり藤の花だった。◆青紫の花が見える。近付いていく。アヤメだ。西洋名・Siberian iris。花は何も言わない。が、花を見る人の心は花を認識している。いや、感じ入っている。花はいいなあ。何にも言わないで、人を感動させるから。平成24年5月1日

六年生、一年生の世話をする

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◆きょうから5月1日だ。若葉が香り立つ。8時30分、六年生が一年生に読み聞かせをしている。いいなあ。年長者が年下の者をかわいがり、めんどうをみる。これが大切だ。年長者のことを、「父母兄弟」と称して、のちに慣用熟語となった。これを縮めて、のちに「父兄」と呼んだ。父兄とは、年長者・保護者・監督者の意である。その意味では、六年生は父兄である。平成24年5月1日

指筆で桜を描く

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 指筆、なんといい言葉だろう。太古のその昔、草木染料を指に付けて絵を描いた人々の姿を想像する。指で絵の具を溶き、その指を筆にして桜の花びらを描いていく。楽しそうだ。実に楽しそうだ。筆者も指に絵の具を付けたくなったが、そこは辛抱して子供の肩越しに桜絵を楽しんだ。

  指筆に さくらさくらの 花咲けり         平成24年4月25日

見る、看る、診る

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 4月23日月曜日、全校朝会での私の話のテーマは「見」「看」「診」の漢字の音訓について。筆で認めた以上の三種の字を見せる。一年生は、とくに真剣な眼差しで見ている。先に音読みを教えてから、訓読みを教える。三種の文字ともに「みる」と読む。が、三種それぞれの意味がある。その意味を知らせてから、漢字は一世紀に日本に伝わったことを話す。一世紀から9世紀にかけ、約八百年間かけて訓読の技を磨いた。他の国にも漢字は移植されたが、日本人だけが訓読に成功している。偉大だ。こんな話をしてから、「私と副校長先生、大久保先生は、あなたたちの学習の様子を見に行くよ。なんとなれば、皆さんがどのように学んでいるか、その姿を見るのは楽しみだ。また、学びの中で苦戦している人がいるかもしれない。そうした時には、苦戦の原因が何なのか、探りたい。」こう話を結んだ。

あくしゅ大作戦

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 時計を見ると、4月24日9時を過ぎていた。二年生に引かれて一年生が校長室に入ってくる。いよいよ、あくしゅ大作戦の始まりである。名刺を交換する。そのあと、握手をする。名刺は相手に読みやすいように返して渡すのがいい。が、自分向きに渡す子がいる。そうすると、二年生の子が「名刺は受け取る人が読めるように渡すんだよ。」と教える。いいなあ。こういうやりとりから世の中の仕組みに気付くようになるのだろう。

大西小芝桜

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 芝桜咲く季節となりました。上の写真を見て、文字が見えてきませんか。「大西小」という文字です。この花文字を見たお客様が、「いいなあ。花文字を私もつくりたくなったわ。」とおっしゃっていました。大西小の子供の姿のようです。見に来てください。平成24年4月17日

桜咲く

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 桜咲く。芭蕉は桜の花に神の顔を見た。神の顔とは桜の命のことである。その命の姿を神の顔と詠んだ芭蕉に感嘆する。桜はいいなあ。
  なお見たし 花に明けゆく 神の顔

卒業式

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 去る3月23日、卒業証書授与式を挙行した。57名の子供たちが巣立っていった。新しい出発に祝福をおくりたい。

体育集会

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◆大縄を回す先生、背中を押されて跳ぶ1年生の姿を見る。逞しさが滲むようになった。子供の成長は国の成長のもと。こう考えながら、この子たちが健やかに育って欲しいと願う。

大泉青少年音楽祭

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▼3月3日、大泉中で第11回大泉青少年音楽祭が催された。大西小の子供たちは、「地球の家族」を歌い、「天空の城ラピュタ」を演奏した。緊張した顔が実にいい。人は、緊張と緩み、緩みと緊張、この相互作用の中で幸せを感じるのかもしれない。帰り、大泉中のクリスマスローズの蕾を見た。

六年生を送る会

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▼六年生が入場すると、大きな拍手で湧く。少し恥ずかしそうにうつむく六年生、一年生は強く強く手をたたいている。
▼学校長の挨拶の次は出し物だ。一年生から出し物が続く。五年生が終わると、運動系のゲームをする。一年生が縄跳びで六年生に負けていない場面が見られた。予想が外れた人もいたにちがいない。相撲で言えば、番狂わせ。保護者の方も夢中で応援していたなあ。いいなあ。実にいい送る会だった。

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学校行事
12/25 全学年5時間授業 給食終
12/26 冬期休業日