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第150回卒業式

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 式辞

「強くなることはないです。弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。」
これは、ミュージシャンでありコメディアンであり、俳優であった、いかりや長介さんの名言として語り継がれる言葉です。いかりやさんはザ・ドリフターズという音楽バンドのリーダーで、1966年、イギリスのザ・ビートルズという当時、世界で最も人気のあった音楽バンドが初来日し、日本武道館でコンサートを初めて行ったとき、その前座を務めました。その後、「8時だよ!全員集合」というテレビ番組で日本中の人気者になりました。当時、小学生だった私も夢中になって、その番組を見たものです。今からちょうど3年前、新型コロナウイルス感染症でお亡くなりになった志村けんさんも、このバンドの一員でした。
 では、いかりやさんの言葉を続けましょう。
「人間は元々、弱い生き物なんです。それなのに心の苦しみから逃れようとして、強くなろうとする。強くなるということは鈍くなるということ。痛みに鈍感になる。自分の痛みに鈍感になると他人の痛みにも鈍感になる。自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感になり優しさを失う。
いいんですよ、弱いまんまで。弱い自分と向き合い、それを大事になさい。人間は弱いままでいいんです。弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい。」

 私も強い人間になりたい、と考えてきた一人です。自分の弱い部分を他人には見られたくない、と人一倍、思って生きてきたような気がします。しかし、「弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい。」という、いかりやさんの言葉に目からうろこが剥がれ落ちるような気持ちになりました。なぜなら、この地球に住むすべての人類が争うことなく平和に生きていくことができる究極の真理がここにあると感じたからです。

 今日、3月24日でロシアがウクライナに軍事侵攻して1年と1か月が経ちます。これまで、お昼のミート講話で、または「YouTube Channelじがくのススメ」で、このことについて話してきましたが、君たちは何を感じてきましたか。
 爆音に怯え、涙を流すウクライナの幼い女の子の姿を初めてニュースで見た時、深い悲しみと強い怒りを私は覚えました。しかし、そのウクライナ情勢が毎日のように報道されると、当初の悲しみや怒りは徐々に薄れ、他のニュースと同じ感覚で、聞き流している自分がいることに私は気づきました。
 皆さんはどうですか。遠い国で起こっていること、自分たちの日常にはあまり関係のないこと、ですか。それは仕方のないことなのかもしれません。友達と話に夢中になっているとき、美味しい給食を食べているとき、ウクライナの人々の痛みを私たちは忘れています。
 しかし、時の流れは速いです。6年前に小学校に入学した君たちがもうここで卒業します。そして、6年後には君たちは成人となり、選挙権も得ることになります。国の、いや世界の行く末を左右する意志決定をする大人の一人となるのです。であれば、今のうちから、痛みを感じている人々へ思いを馳せる、ほんのちょっとの時間がもてる人になって欲しいと思うのです。
 今年度も、この石神井西小学校ではユニセフ募金をしましたね。例年の倍以上の10万円を超えるお金が集まりました。これは、ここにいる卒業生と、ここにいる5年生をはじめとする在校生に、痛みを感じている人々へ思いを馳せることができる人が多く存在することの証だと思います。

 西暦2000年、21世紀は科学技術が著しく発達した社会になると予測されていました。実際、文部科学省のGIGAスクール構想で、一人一台のタブレット端末が配備され、学校の授業風景も大きく変化しました。そして、新聞や書籍がなくとも、タブレット上で膨大な情報を得ることができ、人前で発言することが苦手でも、タブレット上で意見を表明することができるようになりました。ところが、フェイクニュースに翻弄され、匿名の誹謗中傷を拡散するという人間の愚かさが露呈される社会になったことも事実です。

 君たちの未来にはどんな社会が待っているのか、それは君たち一人一人にかかっています。そのことをしっかりと自覚しながら、中学校生活を送って欲しいと心から願っています。

    令和5年3月24日 練馬区立石神井西小学校長 青山直志

令和4年度 修了式

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 ぼくが1年生でがんばったことは「じがく」です。最初はどうやったらいいのか、よくわからなかったけど、やってみたら楽しくなりました。(中略)おかげで、ぼくは物知りになりました。2年生になってもがんばりたいです。(後略)


 私は移動教室で初めて親元を離れて友達と生活しました。自分自身、3日間ですごく成長したと感じています。特に整理整頓がしっかりできるようになりました。もともと私のクラスでは整理整頓を常に呼び掛けていましたが、3日間共同生活することで、周囲を見て友達に迷惑をかけないよう気を付けることができました。(後略)


 私が1年生のとき、6年生の存在はとても憧れでした。ですが、6年生になって、憧れの存在感は自分にあるのかと思うようになってきました。自分より背が高くて、年上だから憧れていたのか、昔の自分の気持ちを忘れてしまっていて思い出せなかったのです。でも、憧れになれるかどうか分からないけど、下級生のお手本になる6年生になろうと決意しました。(中略)私は明日、この学び舎を離れ、中学校に進みます。(後略)

感謝の気持ちで

6年生、最後の奉仕活動。ソーシャルディスタンスのビニールテープにもさよならです。
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このいす、いーすね!

自分の好きな動物等をモチーフに自分の好きな椅子を創りました。
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もうすぐ6年生

在校生代表として、5年生は卒業式に参列します。まさに威風堂々とした言葉と演奏です。
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卒業まで一週間

マスク着用ですが、歌を歌える卒業式です。高音の伸びが素晴らしい!
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そつぎょうおめでとう

わくわく学級の卒業を祝う会が行われました。合奏にゲーム、ダンス等、心温まる会でした。在校生には進級きっぷが手渡されました。
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12年後のぼく、わたし

24歳になった自分を想像して。薬剤師、バリスタ、プログラマー…夢は広がります。卒業まであとわずか。
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起震車ねり丸号

放送機器が使えないことを想定した今年度最後の避難訓練でした。6年生は起震車で震度7も体験しました。
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花いっぱいの祝う会

先生方そしてお家の方々、今までありがとうございました。ちっちゃかった頃のスライドに胸がジンとしました。最後はハイ、ポーズ!
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東昇降口のひな人形

3月3日は桃の節句、雛祭り。給食のちらし寿司とピーチゼリーをお供えしました。
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スーホの白い馬

馬頭琴の優雅な演奏を体育館で聞きました。シャガイという羊のくるぶしの骨でできたモンゴルの遊び道具も紹介していただきました。
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