卒業式(2組)卒業式(1組)ご卒業おめでとうございます。6年生は、卒業式にも全力で取り組みました。素晴らしい門出の言葉、歌でした。中学校へ行っても、元気で活躍してください。 練馬こぶしハーフマラソン2019修了式児童代表の言葉は5年生でした。今年の6年生のカッコいい姿を見習って、自分も立派な最上級生になれるように頑張りたい、という内容でした。 年度末大掃除
今日の5校時は大掃除でした。1年間使った教室を隅々まできれいにしました。気持ちよく次の学年に引き継げそうです。
5・6年卒業式練習3.206年生の証書のもらい方は、相当上手になりました。先週まで練習してきた留意点、はっきりした返事、適切な所作、アイコンタクトなど、とてもよくなりました。5年生は、6年生の証書授与の時間、ひたすらよい姿勢を保って座り続けることが必要です。今日はそれを正に実感したことでしょう。その後、式辞、来賓祝辞等の間も姿勢よく座り続けなければなりません。今日は話は短かったので、そこは本番のみの頑張りどころです。 門出の言葉、歌はとても素敵になりました。あとは、22日(金)の予行と25日(月)の本番を残すだけです。立派な卒業式になりそうです。 6年卒業奉仕活動6年「原爆先生」の特別授業
3月14日(木)に、原爆先生こと池田眞徳先生にお越しいただき、90分間の特別授業(7000度Cの少年)を実施していただきました。先生の実の父親である池田義三さんが、17歳の少年兵士として、被爆直後の悲惨極まる爆心地で勇気を振り絞り数々の試練を乗り越えて活躍する物語を語ってくださいました。話の中に様々な科学的事実を組み込んだ解説もあり、原爆のことをよく知らない子供たちにも分かりやすい話でした。
話の元になっているのは、小説「ヒロシマの九日間」で、少年兵士義三がヒロシマの過酷な惨状のなかで勇気を振り絞って活躍した物語です。 義三は、昭和19年(1944年)に17歳で陸軍船舶兵特別幹部候補生として入隊し、広島県の江田島に配属されていました。 昭和20年8月6日早朝、軍需物資調達の命令を受けた義三は、8名の戦友たちと共に広島市内に入り、爆心から3キロ地点の宇品西二丁目で被爆しました。義三は、その後に発せられた命令で広島市内の消火作業と被爆した人々の救助活動を行ない、そして、翌8月7日には、人類として初めて爆心地に踏み入り、死体の捜索・収容そして焼却作業に九日間従事します。 単純に、平和教育とか反戦とか、そういう意図をもった授業ではなく、話を聞いた一人一人が、ヒロシマや原爆に興味をもつことを目指しているということです。興味をもつことで、自分自身で勉強して理解していくからです。まだ、子供たちの感想は聞いていませんが、様々なことを感じ、考えたに違いありません。 池田先生、ありがとうございました。 5・6年卒業式練習3.15長縄朝会お別れ給食1年間一緒に過ごして、絆が深まっているなかよし班の姿がありました。 6年図工作品「未来の光が丘」サイン集め集会
毎年恒例!最後の児童集会は、「サイン集め集会」です。6年生にサインを書いてもらう集会です。
初めは、なかよし班の6年生にサインをもらいます。その後は、誰からもらっても自由です。制限時間は5分間です。サインをもらったら、「ありがとうございます。」とお礼を言って、握手もしました。 温かく、和やかな素敵な時間でした。 6年生を送る会(その3)校章旗の引き継ぎ、なかよし班の引き継ぎなどもあり、5年生が真剣な面持ちで受け取っていました。 秋の陽小のよき伝統をつなぐ送る会になりました。 6年生を送る会(その2)6年生を送る会(その1)
今年も1〜5年生が、やさしくてかっこよくて頼りになる6年生に、感謝のメッセージと応援の言葉を、呼びかけや替え歌やダンスなど、それぞれ工夫を凝らして伝えました。どの学年の子供たちからも、心のこもった温かいものが伝わってきました。
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