1月13日(金)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ワカケホンセイインコはインドやスリランカが原産の鳥で、60〜70年代にかけてのペットブームに乗じて日本へと入ってきました。そこから逃げ出した鳥たちが野生化し、今では鳴き声やフンの被害が起こるほど問題化しています。 さらに、ワカケホンセイインコの寿命はとても長く、20〜30年だそうです。犬や猫よりも長生きなので、ちょっとやそっとでペットにすることはできません。時々姿を見せる分にはいいのですが、今日は今までになく群れをなしていたので(十数羽)びっくりしました。あいさつ運動の3日目で来ていた代表委員会の子ども達も驚いていました。 1年1組の教室では、凧(たこ)にクレヨンで絵を描いていました。生活科の昔遊びの学習として行う凧揚げ用の凧です。教材として購入した「スーパーカイト」という凧で、不織布の本体の他に、2本の足とたこ糸(50m)付きです。まずは本体に絵を描き、次に足を貼り付け、最後にたこ糸を結びつけます。(毎年、たこ糸を結びつけるところで苦労します。) 1組の昨日の宿題は、国語や算数の他に、「たこに描く絵を考えてくること」が出されていました。どんな絵を描いているかなと思い教室を回ってみると、とても楽しそうな絵がたくさん見られました。お正月らしく「あけまして おめでとう」と文字を入れたり、干支のうさぎを描いたものもありました。カラフルに仕上がった凧を校庭で揚げる日が楽しみです。(写真上) 3年生は、社会科の時間に「練馬区のうつりかわり」の学習をしています。教科書には、江古田の交差点で同じ位置から写した、昔と今の写真が載っています。2枚の写真を見比べながら、子ども達は様々なことに気づいていきました。道路の広さや建物の違い、信号機やガードレールなど、よく見ると大きな違いがいくつかあります。(写真中) もちろん、昔の写真の方は白黒写真です。信号機がないことについて、「馬車だったんじゃないの?」とつぶやいた子がいました。写真の下には、「昭和31年・1956年」と書かれています。旭町小ができた頃です。私はまだまだ生まれていませんでしたが、この頃には自動車が走っていました。ただ、走っていた台数はかなり少なかったはずです。信号がいらないくらいですから。 3年生は、12月に社会科見学として、石神井公園にあるふるさと文化館に行っています。2階の展示室には、昭和30年代の街の様子が再現された場所があります。ちゃぶ台のある居間や、ガス式の炊飯器や魔法瓶のある台所、外には二槽式洗濯機と、昭和の香りがプンプンする一画になっています。さらにそこには、3輪自動車が置いてあります。前輪のタイヤが中央に1つだけある自動車です。子どもの頃の記憶では、確かこのようなトラックを見た覚えがかすかにあります。 6年生は、理科の時間に「土地のつくりと変化」の学習を2学期の終わりから行ってきました。冬休みをまたぎましたが、いよいよ学習のまとめです。地面の下には、地層と呼ばれる砂や泥、小石や火山灰等の層でできていることを学習しました。また、地層には、大きく分けて2つのでき方があることも学習済みです。地層は、火山と水のはたらきによって、おもに海底で堆積します。その後、何年もかけて圧し縮められるとともに、地殻変動で隆起することで地上に現れます。 岩石標本や化石の標本を見たりする活動も取り入れながら、映像資料などで学習を進めてきました。教科書には、阪神淡路大震災による兵庫県淡路市の断層の写真が掲載されています。地殻変動は、大きく動いたとしても年に数ミリ程度ですが、大地震の際には大きく移動します。(写真下) 昼休みに、予告なしの避難訓練がありました。校庭に避難し終わった子ども達に、1995年の1月17日に起こった阪神淡路大震災の話をしました。当時、同じ区内の学校に勤めていました。朝、学校に行ってびっくりしました。職員室のテレビの前で、先生たちが大騒ぎをしていたのです。画面を見てショックを受けました。ビルが崩壊し、高速道路の高架橋がバタバタと倒れている映像が目に飛び込んできました。さらに、数日後、知り合いの先生の身内の方が震災で亡くなられたことを聞き、再度ショックを受けました。その頃、6年生の担任をしていました。みんなで募金活動をして被災地に送ったことを卒業式の呼びかけに入れたことを思い出します。もうすぐ、あれから28年が経ちます。 明日は、今年度最後の学校公開日です。6年生の図工作品が展示してあります。昇降口を入って北校舎側の廊下から図工室前にかけて、携帯屏風の作品が展示してあります。ぜひご覧ください。 |
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